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肝臓病について

 

ウイルス肝炎について

肝炎ウイルスにはB型肝炎ウイルスとC型肝炎ウイルスがあります。B型肝炎ウイルスは縄文時代から母子間(時には父子間)感染で徐々に広がってきました。

戦後1948(昭和23)年6月から我が国では予防接種法ができ、ツベルクリン反応、BCG、ジフテリア、百日咳など数多くの予防接種が、注射器・注射針を換えず強制的に皮下や皮内に集団接種されてきました。B型肝炎ウイルスは乳幼児期に感染するとキャリアになります。私どもはこのことに注目し、1989(平成元)年6月B型肝炎ウイルスは予防接種で広がったとして、国を相手に訴訟を起こしました。17年間かかりましたが、集団予防接種とB型肝炎ウイルス感染との因果関係を最高裁判所が認定し、国の責任が認められ完全勝訴しました。

一方C型肝炎ウイルスは明治以降西洋医学が進むと同時に日本に入ってきました。主な感染経路は何と医者の注射行為だったのです。

最も有名な話としては、1922(大正11)年からスチブナールという日本住血吸虫症の治療薬(静脈注射液)が開発され、汚染地域ではスチブナールの発売と当時に静脈注射は回しうちされました。更に1931(昭和6)年には、「寄生虫病予防法」という法律によって強制的な集団静脈注射が認められました。その結果日本住血吸虫症の汚染地域にC型肝炎ウイルスが蔓延したのです。

B型・C型肝炎ウイルスは感染力に大きな違いがあります。B型肝炎ウイルスは皮下や皮内注射で感染しますが、C型肝炎ウイルスは感染力が弱いため感染しません。またB型肝炎ウイルスは大人が感染してもキャリアにはなりませんが、C型肝炎ウイルスは成人が感染してもキャリアになります。

昔の硝子の注射器とステンレスの注射針では10才以上でないと採血や静脈注射をすることはできませんでしたので、10才以上でないと感染しませんでした。日本住血吸虫症汚染地域以外で回し打ちをしていた開業医でも同じようなことが言えます。

B型・C型肝炎ウイルスキャリアになると、慢性肝炎、肝硬変、肝がんになることがあります。

ウルソと自己免疫性肝炎について

ウルソ、別名熊の胆(くまのい)が自己免疫性肝炎に効果のあることを発表したのは、世界で私が初めてでした。

これにはわけがあります。私が医者になったときから肝臓が悪いというとツムラの漢方薬(小柴胡湯)が使われていました。しかし小柴胡湯(しょうさいことう)では肝障害は効果なく、肝がんの予防にもなりませんでした。

そこで若い先生の提案で小柴胡湯を肝障害のあるすべての症例をウルソに換えることにしました。

院内薬局からはひどい反抗に逢う結果になり、病院管理者も挙って抵抗しました。何故なら小柴胡湯は差益(収支の差額による利益)が大きい薬だったからです。

それにもめげず、1986(昭和61)年夏からウルソに全面的に換える作業を行いました。

そんな中で自己免疫性肝炎にウルソが効果のあることを発見し、1993(平成5)年9月神戸で開催された日本消化器病学会シンポジウムで発表しました。

更に日本肝臓学会の推薦で肝臓学会の英文雑誌に自己免疫性肝炎の4症例を掲載しました。

日本住血吸虫症

1913(大正2)年7月半ば、久留米の農村(鳥栖市基里村)に、江戸時代半ばに作られた水田への供水用の100mほどの長さの溝渠(こうきょ)がありました。 

宮入慶之助と鈴木稔は、この溝渠にハツカネズミを浸して、研究室で経過を観察したところ、3週間で死亡しました。
解剖したところ、門脈に多数の日本住血吸虫がみつかったため、溝渠の水を柄杓(ひしゃく)ですくってみると、4~5ミリの焦げ茶色をした光沢を持った巻き貝が入っていました。
 この貝のなかで、ミラシジウム(幼虫)から人畜に感染するセルカリア(成虫)が出来ていたのです。

日本住血吸虫症の中間宿主の発見でした。

これで原因は明らかになり、この貝はミヤイリ貝と命名され、駆除に全力をあげることができました。

感染経路が明らかになってから、1922年3月、宮川米次によって治療薬(スチブナール;静脈注射)が開発されました。
戦前戦後を通じて、注射器の使い回しによるスチブナールの集団強制接種が続いたため、日本住血病の汚染地域にC型肝炎が広がる結果になりました。

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