人体試験接種(国内)Ⅱ
「BCGが使用できるようになった頃、BCGの毒力が恐ろしいとみえて、はじめて人体研究をする臨床の大先生は0,0001㎎接種からはじめていた。
その頃私たちはBCGの接種は0,03㎎皮下接種を進めていたのだから、その隔たりはとても大きかった。
その頃、今でもはっきり記憶に残る思い出がある。東北大学の 熊谷岱藏先生のことであるが、先生は、最初はBCGなどたいしたことがないと思っておられたらしい。ツベルクリン反応陰性の看護婦の一群にBCGを接種し、他群には何もやらないで比絞された訳である。
接種して3カ月くらいにお目にかかったときには、皮下接種の場合、接種局所に潰瘍ができて、苦情が多くて困ると嘆いていた。
それから一年たって会ったときは、接種群からの結核発病の少ないことに驚かれたらしい。
そのとき私に、皮下接種を静脈接種に変えたら接種局所の潰瘍ができなくて良いではないか、ひとつやってみないかとのことであったが、私はその経験は動物実験ですらないし、BCGの静脈内接種の文献は内外にないので、頭をかしげてそれを拒んだ。ところが先生は勇敢に、ツベルクリン反応陰性者の看護婦にやられたのである。なるほど接種局所には大きな変化は出なかったが、接種者のうちから1人失明者が出た。眼科で調べるとそれは眼底出血であったらしい。2-3ヶ月で全快したと聞いたが、それから先生もBCGの静脈内接種をあきらめた。
皮下接種からはじまったBCG接種も、再接種を行なうグループが次第に増加するに伴い、局所反応もいよいよ多発するようになったので、接種方法の改善とワクチンの製法の改良に、研究が向けられていった。
皮下1ヶ所接種法から皮下分割2ヶ所接種法、静脈接種法、皮内接種法、経口接種法、腋窩皮下接種法、腹腔内接種法、経皮接種法など次々に接種法が、各方面で研究されるに至ったのである。
皮下2-3ヶ所分割接種法は潰瘍こそ小さいけれども、瘢痕が多くなるし、特にその潰瘍が融合した場合には一層大きな瘢痕を残すので賛成できない。
静脈内接種の場合は、熊谷岱藏の経験から眼底出血者もみられたので、ツベルクリン反応陽性者に誤って接種した場合には、接種局所の変化はないにしても、毛細血管などに小出血があり、一時的にも出血部に機能障害がおこる可能性もあるので、これも接種方法として、推奨する訳にはいかない。
腋窩皮下接種法は、高橋義夫が満州で試みて接種局所にはほとんど問題ないということで、私たちも人体にやってみたが、時には注射針を入れたとき血液が、ワクチンを入れた注射器に突如として入ってくることが数々あり、不気味であるし、大体、年頃の女性などにこの接種法を行うことはなかなかできず、これも長続きしなかった。
その間仙台市の某国民学校で熊谷岱藏、海老名敏明(東北大、昭和2年卒)の指導で同法を実施したときに、多分腋窩をとおり抜けて筋肉内に接種されたため、かなり多数の局所反応が出て、部位が部位だけにその治療には大変苦労したという報告もあって、それ以降はまったくこの方法を用いるものがなくなった。
さて腹腔内接種、特に乳幼児に満州で山岡克己(東大、昭和5年卒)が行ったもので局所にも全身的にも副作用がなかったという報告があり、第八小委員会で討議の対象になったが、東大小児科教授の栗山重信は腸を損傷する恐れがあるし、人体の腹腔内接種は日本では行われた報告を聞かないと反対した。
ついに皮内法が圧倒的に大多数の委員の経験を経て、一時は一般化するにいたった。
ともあれ1941(昭和16)迄、BCGワクチンは皮内接種でやっても 被接種者からは苦情は出なかったのである。」