

「アカエゾゼミ」の来訪
昨日午後(7月30日)私の部屋の網戸にアカエゾセミがとまっていました。 網戸から外し、屋上の柱に移しましたが、、、その後のことは解りません。 逃げる元気もないようでした。 もう短い一生を終える前だったのか? この種のセミをみたのは、初めてでした。


鶴巻家の孫
鶴巻家のお嫁さんが37才の若さでこの6月お亡くなりになりました。 小6と中1の孫がいますが、今夏休みなので鶴巻 進さんに家にに入り浸りになっています。 被害は愛犬(チロ)にも及んでいます。


逆井(猿島)の今
猿島ではホオズキが紅くなり、アケビの実も出始めました。 柿も青いですが、柿らしく育っています。


猿島からの便り
猿島の花々、上からひまわり、グラジオラス、ミソハギ(お盆の時に使う花)です。 北海道から比べると1ヶ月程早いかな。鶴巻 進氏らの提供。


出会い
写真は由仁・三川C型肝炎訴訟岩崎昭明原告団団長 と猿島肝炎を考える会の竹村三男氏 岩崎氏は12個目の肝がんの治療で入院。 竹村氏はC型肝硬変の治療のためはるばる東京から札幌へ。 このような出会いが、次のスッテップへと繋がります。


ナイトジギング
余別(積丹町)、漁福丸 午後7時~12時まで相棒Kとの釣り この日も好調、2~3kg2本、5~6kg4本、7.5kg1本(写真) 何と私は、この日も5本。どうしたことでしょう? 不吉な予感がするが。。。急に腕が上がったのかな。 船中29匹、だんだん鰤も大きくなっています。
北里研究所成立
1914(大正3)年10月14日時の大隈内閣は、「行政整理、文政統一という名目で伝研を内務省から文部省へ抜打ち的に移管した。北里一門はこの仕打ちに激怒して総辞職し、北里研究所(以下、北研と略)をつくった。 これが当時、医学界の大問題となった「伝研移管問題」であり、「問題は問...


収穫
これは牧草の収穫をしているところです。 刈り取ってある牧草をハーベスター(写真上) と言う機械で細かく刻み 後ろのテッピングワゴン(写真中)という機械に入れます。 その後四トンダンプ(写真下)に入れサイロに入れます。 黒澤酪農園、黒澤誠二
内務省の伝染病研究所2
1909(明治42)年秦左八郎(三高医学部、明治28年卒)とエーリッヒによって梅毒の治療薬サルバルサンが発見された。 秦から伝研に、サルバルサン発見の報告が入って一ヶ月ほどして、当時開通したばかりのシベリア鉄道を経由した、一包みのサルバルサンが伝研に着いた。1909年夏の終...
内務省の伝染病研究所1
北里の造った私立伝染病研究所は、1899(明治32)年4月1日に内務省の研究所となった。 定員は所長1人、部長専任3人、助手専任8人、書記専任4人、無給助手20人内であった。発足初期北里所長のもとで各部長が、次に示すような業務を分担した。 第一部 病原検索、予防方法の研究...