BCGの再接種に関する研究
柳柳澤は、実験治療社主催の講演会(1940(昭和15)年10月の段階で、BCG接種を行ってツベルクリン反応が陽性前後に、既に結核感染防御能力があることを明らかにしている。
ところが、BCG再接種の時期をいつにしたらよいのかという問題は、解決できていなかった。
この問題を解決したのは益子義教(東大、昭和14年卒)で、彼の実験は柳澤謙の結果を追試、発展させるものであった。
この研究は実験動物(人)として301匹という動物を使用できたのは、「これは私が陸海軍に関係していたからである」と自我自賛し、さらに「これだけの大量の動物を無駄なく、巧みに実験に使用したのは益子の優れた才能と努力」と益子を賞賛している。
さらに柳澤謙によると「益子義教に『BCGの再接種に関する研究』をもう一度実験動物ばかりでなく、人体についてもやってもらった。
この結果は東大の博士論文になっていたので、国立国会図書館関西館から取り寄せ熟読させて貰った。ところがこの博士論文何度読み返しても、趣旨が解らなかった。
やっと「わが一生の思い出」を読み理解することができた。
論文は動物実験(人)と人体接種(人)の2部から構成されていた。
「実験動物(人)にBCG、0,04mg接種し、ツベルクリン反応は24時間で判定した。実験動物(人)にBCG 0,04mg皮内接種すると接種後3週から9週までは95%の陽性率を示し、それ以降15週で30%、18週で5%、25週では2000倍希釈液で反応を示すものが一人もいなくなった。
この時期に再度BCG0,04mgを再接種し、他の半数にはそのまま再接種しないでそのままとした。
再接種10週後に両群とも、BCGを全くしない対照群と同時に有毒菌感染(人型結核菌)0.01mg皮下接種を行った。
この場合、再接種群は初回接種群の場合より早くツベルクリン反応が再陽転するが強度にはほとんど差異は認められない。
有毒結核菌感染後7週で解剖すると、BCG再接種した群と再接種しなかった間には病変に軽重をつけ難いくらいで、BCGを全く接種しない対照群と比べれば、両群とも病変が著しく軽いことが証明された。
この実験でもツベルクリンの強弱、陰陽と結核防御能力とが平行しないことが再確認された。」
「第2部は郷里(柳澤)の国民学校生徒約5000人の協力をもらって行った。
ここで知ったことはBCG初回接種後、一度陽転し、再び陰轉したので、再接種した。
いわゆるBCG再接種は接種局所反応が、初接種の場合より早く強くおきること及びツベルクリン反応も早く強く陽転する。
初接種群と再接種群のツベルクリン反応の陽性率の期間を1年以上比較研究することが目的だったが戦争のため出来なかったのが残念であった。」
この論文は東京帝大の博士号論文となっていた。
授与は、1946(昭和21)年9月13日である。
益子は東京都荒川区東日暮里で鶯谷医院と名前で開業していた。開院は1957(昭和32)年7月2日、廃院は2005(平成17)年11月24日であった。私が益子を追い始めたときには既に死亡していた。
開業医時代の肩書は新日本医師協会(1948年10月設立)東京支部長であった。
彼もまた柳澤謙と同様に、医学部卒業(東大、昭和14年卒)と同時に満州国立衛生技術廠へ出かけた。
日本学術振興会第8結核(小)委員会「結核予防に関する報告書」には再接種は第1回接種後6ヶ月前後においてツベルクリン反応を行い9mm達しないものに再接種を行うとしている。