乾燥凍結BCGワクチン(柳澤謙)
柳澤謙は「わが一生の思い出」で、乾燥BCGワクチンについて次のように述べている。
「欧米留学から帰国した先輩の羽里彦左衛門(東大、大正14年卒)に、欧米の細菌の凍結乾燥の話を聞いたら、米国で誰だったか血清やたんぱく質でやっていた研究者がいたという。
それなら米国の雑誌に掲載されているに違いないと思って、色々の雑誌をみると、ペンシルバニア大学医学部細菌学研究室のフロドフ博士とマッド博士とが、1935(昭和10)血清や蛋白質、酵素およびウイルスの保存のために、使用することが免疫学雑誌に載っていた。私がその文献に載っている小型の凍結乾燥器を、伝研に出入りしている医療機械店にガラスでつくらせて、BCGの凍結乾燥を行なった。これは日本のみならず、世界ではじめてだったと思う。」
これは真っ赤な嘘であるが、柳澤謙はBCGの乾燥凍結の研究を澤田哲治(北大、昭和14年卒)と行い、1940(昭和15)年春には乾燥凍結BCGを完成したと考えられる。(後で述べる内藤良一の援助を受けつつ)。