奇異な男、石井四郎
1942(昭和17)年8月突如731部隊長を解任された。石井四郎が731部隊の任を解かれた最大の理由は、莫大な公金を遊興費に充てていた疑い。
夕刻になると長春から遠く瀋陽まで足をのばし、遊蕩に耽り、何日も帰らないことが多かった。瀋陽の波花町の日本料亭「粋山」は石井四郎のお気に入りの店であった。
第2の疑惑は出入りの軍需商人との収賄である。
第3の疑惑は実験動物(人)とハルビン憲兵隊との不正な金品の受け渡しであった(森村誠一著:「悪魔の飽食」、2012)という。
解任先は山西省太原に司令部を置く、第1軍医部部長である。
病院の査察を任務としは今で言うなら保健所の所長である。
翌1943年には陸軍軍医学校付けで、東京に帰った。
1945(昭和20)年3月陸軍中将に昇進し、731部隊長に再度就任。
8月にはソ連軍の侵攻より平房を脱出し部隊員を連れて帰国。
石井四郎が、いない間は満州医科大学に赴任していた北野政次(東大、大正9年卒)が就任した。
「北野背が低く、がっしりしていて、頭の形も弾丸型の丸い頭であった。彼は石井と同じくらい頭の回転が早くまた野心的でもあった。」(死の工場、1999)
今まで述べた事実から731部隊の指導者は石井四郎ではないと確信している。
彼は放蕩家として、誰しもが認めるところであり、
石井は結局、猿回しの猿であったという。
この間石井の面倒をみてきた小泉親彦はこの時厚生大臣であり、今まで面倒をみてきた石井四郎を見限って解任を決意したのかもしれない。
(猿島より提供:野イチゴ)