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石井は発明家

背蔭河の実験場では、大量の結核菌やBCGの培養が必要であったが、これについては

1931(昭和6)年の第5研究の箇所に「防疫学教室及び防疫学部においては、軍隊に於ける結核の予防接種の免疫効果及び各種免疫法の比較検討に務めると共に培地及び培養方法の改良により生産能力の増進価格低下減に関し漸次所望の域に達せんとしつつあり」陸軍軍医学校五〇年史(p152、不二出版、1988)と記載されている。この年から背蔭河での実験が始まったこと、この時、既に細菌培培養罐(特許100615号)が実際に使用されていたこといたのである。

石井四郎の石井式給水車も有名であり、石井式給水器で特許をとったと誤解する人もいるが、陸軍軍医学校五〇年史には掲載はなかった。

特許庁に調査を依頼したところ、石井四郎の取得したもう一つの特許とは、濾水器用応急停止装置(特許103548号)であった。

更に彼は細菌を飛行機からばらまく「宇治式陶器爆弾」を考案した。

石井は個人的には特許「濾水器用応急停止装置」の製造を帝国医療株式会社に任せ、多額の遊興を捻出したという。この濾水装置がのちに石井式濾水器といわれ、ノモンハン事件(1939(昭和14)年フルンボイル平原のノモンハン周辺でモンゴル軍と満州国軍の国境警備隊の交戦をきっかけに、日本軍とソ連軍がそれぞれ兵力を派遣し、大規模な戦闘に発展した)で活躍した。ただし日本軍は大敗した。

つまり石井四郎は細菌学者ではなく、発明家なのである。

きゅうり.JPG

(猿島より提供:胡瓜)


 
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