石井四郎の逸話(続)
昼食後、将校への教育があった。石井四郎は、二時間位、ひとりで喋り続けた。映画も観せられた。それは、石井四郎の経験したノモンハン事件の時の戦争の八ミリ映画で、捕獲したソ連の戦車の上に日本兵が乗っかり、『降伏しろ』と攻めている場面などが映っていた。相手は降伏せず、突如、戦車が動き出し機関銃を発射して来たりした。日本軍は遂には、戦車の中へ石油を注ぎ込んで火をつけて燃やした。映画をみせながら石井四郎は、『死んでゆく若い兵士は、スターリン万歳と叫んで死んでいった。その声がいつまでも耳について離れなかった。戦車も恐ろしいが、その兵士の声がさらにこわい。』といった。
もう一本の映画は、ペストの防疫についての映画であった。
新京(長春)近くの村でペストが発生したというので、石井四郎の指揮する防疫部隊が出動し、部落を焼き払っている光景が写っていた。わたしがあとから聞いた話によれば、この事件は、石井四郎が、細菌戦の効果を軍に認めさせるためにやった謀略らしいということだった。 事の真偽は、いまだもって分からない。
なお、石井四郎の査閲の時には、滑稽なことがあった。病院内の巡視の時、内務班の兵舎で、猥本(エロ本)がみつかってしまった。査閲の前に、わたしたちが何回か検査した時にはみつからなかったのに、査閲官がたまたま、何気なく教典類の中からつまみ出したのが、猥本だったのである。
この査閲は、わたしが教育主任、すなわち、中隊長役だった時であった。石井四郎査閲官は、査閲の終了時の講評の時、いつもの通り、「おおむね、良好。」と総評したが、そのあとで、「ここの内務班は腐っている。」と語気鋭く結んだ。査閲を終って宿舎へ帰ってゆく石井四郎を送って出たわたしは、証拠品の猥本が軍に渡ったら話題になるに違いないと思って、「責任者を厳重に処罰しますから、その証拠品を返して下さい。」と丁寧に頼んだ。石井四郎はすぐ返してくれた。
夜の宴会の時、石井四郎は、「お前が熱心であったから返した。」という意味のことを云っていた。
実はわたしは宴会の用意をする時、料亭の芸者たちに、石井四郎をうまくとりもつように頼んでおいた。その結果、石井四郎はその宴会に大変満足して、酔って、『わしゃ愉快じゃ。』などと悦に入っていた。わたしは内心、しめしめと思い、猥本のこともそれで一件落着になってくれたらと考えた。
翌日、猥本を持っていた四年兵をすぐ呼び出して、『貴様は処分だ。』と大声でどなったけれども、こんなことで処分する気にもならず、そのまま放っておいてしまった。
この件は、査閲の公式の文章には、まったく現れなかった。こんなことを文書に載せれば、軍医部の恥にもなるので、笑い話で済ませてしまったのだろうと思われた。
わたしは、石井四郎が昼食の時、『ガダルカナルで日本軍が負けたのは、上陸した兵士が食糧を持たなかったからだ。仲間の肉を食えばいいじゃないか。』と語っていたのを思い出す。それを聞いていたわたしたちは、さすがにぞっとしてしまった。