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小泉親彦シリーズ

  • Dr.mima
  • 2015年6月10日
  • 読了時間: 2分

小泉親彦は1884(明治17)年9月9日生まれで、昭和天皇は1901(明治34)年4月29日生まれ。

小泉は昭和天皇より17才年上であった。

小泉の父、親正は官軍の軍医として、西南戦争で活躍したが、結核で死亡。このことで親彦は医者になることを決めたという。

岡山六校(大学の教養部)の話であるが、宮川米次と初めてであったころの話があった。

「私が小泉君と相知ったのは、高等学校時代である。岡山六高で、私とちょうど二つ違いである。その交友のはじまりには、面白いことがある。1920(大正9)年のことであるが、賄い(寮の食事)の問題で、学校騒動をやったその時からである。当時小泉君は三部(医学部)の三年で最上級、私は一年であったが、私もやんちゃをやるのは人後に落ちなかつたし、叉ちょうど一年生の総代をやっていたから、すなわち両人相知る機会をえて、本当に兄貴のように尊敬と親しみを感じていたし、彼は事あるごとに、よく面倒をみてくれた。それは私が東大に行ってからも続き、その後も小泉君とは一生変わらない間柄であった。′

 六高では小泉君は二回目、私は四回目の卒業生である。六校会を開いて東京で酒を飲んでも、いつでも小泉君は大将になってやってくる。酒も非常に強かった。ご承知の通り六高という高等学校は、洒を飲んではいけない学校であった。

それをその当時から飲もうと行って、たいてい牛肉屋でやった。必ず四合びんから、コップでぐいつと飲むという恰好であった。しかし気にいらないと一滴も飲まない、そういうところは年をとつてからでも同じであった(「小泉親彦を語る」日本医事新報、1955年年12月17日)。

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