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小泉の最後

小泉親彦の甥、小泉昂一郎によると、戦後の1945年9月13日、夜8時過ぎ、目白警察署の署長が来訪。明朝お迎えに来ますといい、小泉親彦はお役目ご苦労さまですといった。それから変わったこともなく談笑し、11時頃立って佛間に入った。ここで香をたき、衣装を直し、備前久勝の軍刀で腹十字に切り、右頸動脈を切って絶息した。

清水智恵子は昭和18年の春、鯖江高等学校卒業前の春、修学旅行で東京に行き同郷の小泉邸を見に行ったが、それが縁で見初められ、小泉邸に女中で入ることになった。彼女によると最後の晩餐、確かに陛下から下腸されたお酒や珍しい缶詰などで宮中料理がつくられた。晩餐の後1人で休むから1人にさせてくれと言われ二階の茶屋に上がられました。羽織り袴紋付き姿でした。

若しかしてはと、小さな物音も聞き漏らすまいと耳を澄ませ、一睡もせず今か今かと緊張していたのが真相でございます。

夜半刀を鞘から外したような微かな音に気がついた。昂一郎氏が2階に駆け上がったときには絶命さしたあとでした。一面血の海でした。外が白み始める数時間は恐ろしさも忘れてご遺体をアルコールでお拭きし安置したのです。あの時の笑みさえ浮かべられた安らかなお顔は今も忘れられません。早朝米軍数名無断で屏を乗り越え検屍しました。

それまで気強く振る舞われた正子(妹)様一時は恐怖を感じ部屋に閉じこもってしまわれたのです。

まもなく天皇陛下のお耳に達して正門を開けて座敷まで赤絨毯が引かれ勅使が遺わされ厳粛なご弔問がありました。

今年は小泉親彦が切腹自殺して没後70年にあたる。

さつき.JPG

さつきの盆栽:猿島 鶴巻氏提供


 
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