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国家機密(実験医学雑誌、雑報)

私はとある伝染病研究所の先生と一時メールのやり取りをしていたことがある。

先生のお陰で、伝染病研究所には1918(大正7年)年6月初版の「実験医学雑誌」があり、更に月々の人事などの記事が掲載されている雑報があることを知った。雑報は伝染病研究所の歴史を知る上で重大な役割を果たしていた。

1934(昭和9)年まではどこの大学の医学部図書館にも雑報はあった。

 第5代伝染病所長の宮川米次の「所長就任の挨拶と希望」(雑報、18巻2号)で彼の話の内容があまりにも右翼的で横暴な言論だったので、19巻以降の実験医学雑誌の雑報を閲覧するため、2007(平成)年の夏、北大医学部図書館に行った。札幌医大の図書館には雑報はおかれていなかった。

 北大医学部図書館へ行って全巻調べたが、雑報は1935(昭和10)年から突然「欠ニアラズ」と鉛筆で記載され、雑報があるだろうと思われる部分は、

すべて欠落していた。

欠落部分は、宮川米次が第五代伝研所長になって二年目以降の全巻にわたっていた。図書館の司書に聞いたところ、雑誌が一部欠落しているのは、雑誌が図書館に送られたとき、既に欠落しているからとの返事であった。

ところが人為的に抜き取られた痕跡のあるものも存在した。

私はメールで知り合いになった「とある先生」にこのことを話したところ、それでは「私の持っている雑報のコピーを全部あげましょう」と言われたが、雑報は私の所に届かなかったし、メールのやり取りもこれで終わった。

昔私と一緒に肝炎問題を取り組んでくれた、東京在住の看護師に付き合ってもらい、2008年12月初旬、東大医学部図書館に行った。東大医学部図書館の「実験医学雑誌」は、北大と同じように1935年分から雑報の部分のみが白紙になっていた。

 同じ日に国会図書館にも行ってみた。

国会図書館では、マイクロフィルム化されていたものを閲覧したが、ここでも東大医学部図書館と同じで雑報はなかった。

国会図書館では東大医学部図書館とは違い「原資料劣化のため、不明箇所あり」と断って雑報は消えていた。

その後国会図書館の司書に確認したが、1935(昭和10)年から「実験医学雑誌」の編集方針が変わり、雑報はなくなったのだという。

マイクロフィルム化する前の原本でも同じであると言った。いい加減な司書の回答に腹が立った。

北大医学部で雑報があると思われる箇所を指定して札幌医大図書館にコピーを大量依頼した。

膨大な量ではあったが一生懸命探して貰い、消えた雑報が少しずつ集まってきた。雑報の内どこの図書館のものが多かったかを札幌医大図書館で調査して貰った。

長崎大学学医学部では、すべての雑報を全部所蔵していたことが直接電話し確認できた。

「ある伝染病の先生」とメール中は、伝染病研究所(現医科学研究所)の図書館はいま工事中だと聞いていた。

そろそろ伝染病研究所の図書館の工事が終了したと頃と思い、札幌医大の図書館から文献依頼したところ雑報はすべて伝染病研究所(医科学研究所)に揃っていた。

つまり実験医学雑誌の「雑報」は国家機密であったと理解できた。確かに1935(昭和10)年以降の雑報は誰にも知られては困るものであった。


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