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内務省の伝染病研究所1

北里の造った私立伝染病研究所は、1899(明治32)年4月1日に内務省の研究所となった。

定員は所長1人、部長専任3人、助手専任8人、書記専任4人、無給助手20人内であった。発足初期北里所長のもとで各部長が、次に示すような業務を分担した。

 第一部 病原検索、予防方法の研究

 第二部 診療、解剖

 第三部 講習、予防消毒治療材料検査 であった。 

内務省の伝染病研究所では痘苗製造所と血清薬院(ジフテリア血清、破傷風血清、ハブ蛇血清、ペスト血清、コレラワクチン製造)が1905(明治38年)に合併し、伝研はわが国最大の痘苗・ワクチン・治療用血清(細菌学的製剤)の製造所となった。 

同時に細菌製剤の検定も北里の伝染病研究所が受け持った。

検定問題は後にできた東大付属伝染病研究所ともめる大きな原因にもなった。

新築中の研究所が芝白金台に落成し、1905年年11月に所員は移転した。

敷地面積は1913年(大正2年)、2万2613坪(約7,5ヘクタール)に増加した。

 研究、診療、製造のほか、伝研の主な仕事の一つとして細菌学、伝染病学についての講習があった。この講習は私立伝染病研究所が国立になる前から行われていたが、内務省管轄になってからは医術開業免状、獣医師免状の所有者が、講習規定に定められ対象者となった。

 官庁からの派遣者は、随時受講することができた。研究に来ていた軍医も随時受講していたらしく、すでに第一年度に、4名の海軍軍医の氏名が別扱いで記録されている。 講習は3ヶ月を一期とした。移転の年に当る1905(明治38年)年が一回だけだったのを除いて、1907年までは毎年3回、それ以後2回開催した。15年半にわたる内務省時代に、1638名が受講した。

この講習が、わが国における公衆衛生の啓蒙、細菌学の普及、衛生行政におよぼした効果は大きかった。特に伝染病対策にかかわった地方技術官でこの講習を受けなかった者なく、その採用には、講習の受講歴が考慮された。


 
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